貝塚へ行こう!<その2>
おススメの理由や見どころは前回書いてみました。貝塚に行くにあたって予習に使えるスライドも作成したので、是非ご覧くださいね。
今回は実際に行った様子と、中学受験に向けて覚えたい事項をまとめました。
海はどこ?
東武東上線のみずほ台駅から15分ほど歩くのですが、さてここで子供たちにクイズを出題します。
貝塚のはずなのに貝はどこから採ってきたか?海はいったいどこなのか?
知っている大人も信じられない話ですが、昔はこの一帯まで海だったんですよね。
水子貝塚公園からほんの100mで海だったそうです。駅から上り坂で、現代は丘って感じですけどね。昔は駅のあたりは完全に海の底だったんですね。
!縄文時代は暑くて氷河期の氷河が溶けて、このあたりは海でした!
竪穴住居の竪穴って?
公園内には再現された竪穴住居が点在しています。
近づくと草の匂いもしてめちゃリアル。縄文人はこんなところに住んでたんですね。といっても、一部の豪族やのちの貴族以外は平安時代までずっとこんな感じの小屋に住み続けます。それ以前、人々はほら穴に住んでいました。ほら穴は横方向に穴(というか入口?)があるので、横穴住居。それに対し、竪穴住居は地面を竪方向に掘り広げたので「竪穴住居」と呼ばれるそうです。
展示館内に発掘時の穴が再現されてますので確認してみてください。
!縄文時代から竪穴住居は作られるようになった!
縄文家族の生活
子供って一応、竪穴住居を見つけると内部をひとつひとつ、のぞくんですよね。だいたいは真っ暗ですが。その竪穴住居のなかに、ひとつだけ当たりがあります。
「キャー!人がいる!」
何も知らなかった子供たちは、もうお化け屋敷並みに驚いてました。私も知らなかったのでもしかして竪穴住居内に死体でも放置されてるのかと一瞬焦りました。
中は照明もなく暗いですが、徐々に目が慣れてきます。縄文家族の生活を観察してみましょう。
見つけてほしい縄文時代の生活の特徴
- お父さんが釣竿を持っている
- 木の実がある
- 魚や貝がある
- 火と土器を使って煮炊きをしている
!縄文時代は主に狩猟と採集の食生活。(まだ米作りはしてない)
この頃、食べ物を煮たきすることで、どんぐりや根・くきも食べられるようになり
肉や貝なども火を使って殺菌ができるようになった!
屋外の竪穴住居を見た後は展示館に行ってみましょう。展示館では水子貝塚の発掘現場が再現されてあり、貝塚(たしか本物)の断面も見れます。
屈葬と竪穴
水子貝塚では縄文人の人骨(と縄文犬の骨)も発掘されており、骨のレプリカが置かれてあります。子供ってレプリカでも人骨を見ることは滅多にないので、ちょっとした肝だめし感覚でわ~きゃ~、言いながら、驚きつつ怖がっていました。
ここで子供たちに見てほしいのは人骨がどういう態勢なのかという点です。人骨をよく見ると、膝をかかえた態勢で屈葬されているのがわかると思います。中学入試で習うのは
「弥生時代ころ、人々は屈葬され甕棺(かめかん)に入れられて埋葬された。」
ということ。水子貝塚の人骨は甕棺にはいってませんし、それどころか、どうやら元住居に死体を埋葬したのち、上から貝殻をどんどん捨てていたようです。なかなかワイルドですね。さすが縄文人、死体の上に貝殻を捨てるって。(いろいろ想像するとちょっとホラー。)でも、そこを話すとややこしいので、もう子供には「屈葬されてるよね。この頃、亡くなった人は屈葬され甕棺(かめかん)に入れられて埋葬された。屈葬するのも、甕棺に入れるのも、悪い霊が外に出ないようにという、当時の人のおまじないなんだよ。」で私は話しておきました。
もう一つ見ておきたいのは竪穴住居の「穴」です。地面を少し掘り下げて住居を形どっていた様子がよくわかると思います。
!屈葬され甕棺(かめかん)に入れられて埋葬された!
!竪穴住居の穴はタテだから竪穴住居!
貝塚
展示館には貝塚の断面がありますが、これが結構、迫力です。1mくらいは貝の層ができています。どれだけ貝を食べたんでしょうか。貝といえばシジミやアサリなのかと思いましたが、ハマグリや牡蠣の貝殻もあって、いろんな貝を食べてたんですねー。
その3に続きます。