アユミネラル

中学受験を楽しむ

小学生連れ。 日本史をめぐる奈良の旅②

明日香村サイクリング

明日香周辺のガイドブックや観光案内を見ると、なにかとサイクリングをおススメされます。とても広大だし、道路は広いので、のんびりサイクリングが楽しいです、さわやかな風を感じながら。

私は素直なので、「オッケー!しかもお宿では自転車が無料レンタルできるらしいし!」とサイクリングすることにしましたが、実際のところ、そんな気軽におススメされるほど平坦な道中ではなく。結構な山道でした。ちょっとしたマラソン大会感覚で明日香の山々を立ちこぎからの立ちこぎ。延々と終わらない上り坂に「こ、これ、行きは上り坂だけど、帰りはきっと下り坂だから楽よね?そうよね?」と帰りに希望を託しましたが、帰りは帰りで下り坂ですーーと行きたいところで信号に引っかかったり。子供は白目をむきながら自転車をこいでましたが、今さら借りた自転車を山中に置き去りにもできないし、もう、ひたすら根性を試されるサイクリングでした。

どうして観光側がサイクリングをすすめているのかというと、交通の便が悪いからではないでしょうか。鉄道はもちろんありませんし、バスもそれほど整備されていない。だったら、単純にレンタカーで良いのでは?もしくは、せめてレンタルするなら電動自転車をおススメします。

とはいえ、灼熱のド根性サイクリング、良い思い出ですけどね。

 

高松塚古墳、唐にかぶれすぎな件

f:id:ayumineral:20201005135817j:plain

高松塚古墳。当時、私は勉強不足で知らなかったのですが、この明日香村めぐりで唯一、中学受験の日本史にそのものが登場するのは、この高松塚古墳だけでした。

もちろん石舞台古墳飛鳥寺キトラ古墳、(今やただの空き地ですが)藤原宮跡は史跡をはじめとして、村中に飛鳥時代の歴史的の足跡が残っているので、当時を学ぶという意味では意義のある飛鳥めぐりです。

高松塚古墳そのものは、こんもりとした小さな山ですが、面白いのは高松塚壁画館。石室の大きさや形を体感できる原寸の「石室レプリカ」内に入れます。

この広さがなんというか「個人的な狭さ」なんですよね。広すぎもせず、狭すぎもせず。亡くなった人が永遠に眠るのにちょうどよい広さ、という印象。これ以上広いと寂しい感じですし、狭いと息苦しい。囲む壁にはそして有名な飛鳥美人や四神の青龍や玄武が描かれています。

さらに見上げた天井には天文図があります。これが漆喰に金箔が貼られているのですが、かなりロマンティックで、丁寧な仕事がされています。何を思ってここに天文図を貼りつけたのかと想像するのですが、なにしろ、この天文図、飛鳥の地からではなく、北京から見られる天文図だそうです。…しかし、自分が死ぬ際に、行ったこともない唐の星空を見つめながら永遠の眠りにつきたいと思うのでしょうか?まぁ私は思わないです。やはり故郷の星空があってほしいと思うのですが、あえて異国の星空を貼り、異国の衣装を着た人々に囲まれ、神教でも仏教でもなく中国神話に出てくる四神に見守られたいという心情。これはなかなかのものですよ。本当に当時の飛鳥文化の人々は、相当、唐に影響を受けていたんだな、かぶれていたんだな、と思います。もしくは蘇我家が渡来人の血筋であるがゆえに、この墓の主も祖先が渡来人で、自分の祖先の故郷として唐に並々ならず親しみがあったのでしょうか?素人の妄想が膨らみます。

小学生的にも「飛鳥文化とは初期の唐の影響を非常に受けている、活気のある文化ですよ」ということが実感できると思います。

高松塚古墳周辺はさすが明日香、さりげなく文武天皇陵とかが突然、現れたりします。古墳内は宮内庁管轄とのことで立ち入り禁止です。木漏れ日が神秘的。

f:id:ayumineral:20200930132610j:plain

石舞台古墳

f:id:ayumineral:20200930132636j:plain

 

普通は古墳の横から映しますが、ちょっと珍しいアングル。

かつては教科書に載っていましたよね。これは子供にも見せなきゃ、(私も見たことないし!)と張り切って連れて行ったのですが、なんと、今は石舞台古墳は歴史の教科書から消えているそうです。なぜなら、古墳の主がはっきりしないから。一説には蘇我馬子とのことですが、証拠がないそうです。他に説がないのなら、きっと馬子なんでしょうけど、いい加減なこと、いえませんものね。

石室内に入れますが「石が大きいな~」という印象です。